<   2008年 04月 ( 2 )   > この月の画像一覧

仕事を辞めた後の半年間

初めての就職先から退職した後、すぐに英語の演劇をやった。
演劇で英会話をマスターする英会話クラスの集大成のようなイベントセミナーである。

それよりはるか以前に、学生英語劇連盟のモンキーマジックと、PARCO劇場でやっていたヘアーを見て以来、興味津々だった。 だったが親は、自分で稼げるようになってから、なんでも好きにやればいいと言ってたし、学生のアルバイトで手に入れられる金額なんて知れていた。
本当に就職し、一年未満とはいえ、ちゃんと社会人として働いて手にしたお金でビックプロに参加した。 参加が決まってすぐに、実は次の就職先が決まってしまった。。。
すぐに決めるつもりなどなかったのだが、今とは違って、職安が、せっせと仕事を紹介してくれたのだ。  私の履歴を読んで面接をしたいと言ってくれた会社があり、呼び出しが来た。
しぶしぶ、出かけた。。。面接をした。海外営業部の部長と総務の課長。
いくつかやってきた仕事の話を聞かれ、やってきたこと、やれることを話した。
そして、最後になにかあるか・・・と聞かれて、私は「どうしても、英語の勉強がしたいので半年間は、就職できません」と言った。 これだけ言えば、さすがに普通は話がなくなるはずである。
・・・が、世の中、そんなに甘くなかった。
次の日がくるより先に、職安から電話が入り、半年待つので、ぜひ来てくれという。
・・・そんな会社が在ることにも驚いたが、なにしろ、いったい何が気に入ったんだか・・・と悩んだ。

まあ、半年後になる頃には、状況は違っているかもしれないし・・・と、たかをくくり、
それよりも、はじめての大きな英語劇に参加できる!!という気持の方が先に立って、
劇の本番が終わるまでは、すっかり就職のことなど忘れていた。
その時期に、下北沢の昼は軽食喫茶、夜はお酒を出す飲食店でアルバイトをした。
朗読・・・というものに接したのは、実はその店だったと、今思い出した。
簡単なステージがあって、そこで時折、朗読のライブがあった。。。

その英語劇なのだが、今では日本の演劇界でもすっかりおなじみになった、
NYアクターズスタジオのメソッドを演技法に取り入れていた。
これが、かなり面白い。
マジ面白いのだが、当時の私にはキツイ稽古だった。
自意識過剰で、人前でぶっちゃけたことのできない人間だったからである。
そんなヤツが演劇をやりたいってこと自体、考えてみれば矛盾しているし、
実際、自分の無意識と意識には、大きな隔たりがあったな~と思う。

とにかく、自分自身を発見できないと、本当は先に進めないようなメソッドで、
へたなまねごとをすれば、精神的に病む人もいるから、ちゃんと教えてくれる
ところでじゃないとお奨めはしない。自分の感情の記憶を意識して引きだすような
ことをやるから。そこから、役の感情や行動をみつけていくのだ。
人一倍、やりたかったのは確かで、
その気持が行動に移るのを阻害しているのも、他ならない自分だった。

そんなこんなで、メソッドは、私の中で演技の原点に刻みつけられている。
ただし、それと対極と言われる、日本の伝統的な方法というのにも、
いつからか引き込まれていった。これも、かなり面白いものである。
今、私は、どちらのアプローチも、甲乙をつけるようなものではないと思っている。
ケースバイケース。中途半端にやらない限り、どちらからでも行き着くところは、
同じだと思う。 どちらも、自由に表現できる身体と心を培うための方法なのだ。

半年後、私はまたしても、芸とはかんけーない業界へ入ることになる。
・・・この後の会社に居た間の年月は、その後の芸ごとの基礎ともなった。
[PR]
by yui-aoyama | 2008-04-14 23:25 | 演じる

ちょっと、昔を思い出してみた。

4月。
新しい学校やクラスや、職場やなんかに行くようになる、この季節。
この後にくる、いわゆる「五月病」は、実は年々早くなっていて、
もうすでに、始まっているのだとか。。。

かくいう自分も、就職する年、二十歳の頃は、
フツーのOLなんてのは、まっぴら御免だったし、
いい男みつけて、永久就職などということも考えたことがなかった。
その頃は、ギター弾いたり、歌作ったり、演劇をやりたかったりと、
やたら舞台モノに惹かれていた。
といっても、主役でスポットライトを浴びて・・・とかにはあまり興味が無く、
自分が表現したいものを表現できればいい・・・という、超ワガママな欲望。

で、結局のところ、自分が選んだのは、貿易事務の仕事だった。
その頃の新卒の月給が平均十万切るくらいだったから、それからすれば破格の13万というところだけで決めた、外資系の小さな会社だった。
まるっきり、芸とはかんけーねーところを選んだのは、卒業したのが英語学校だったからだ。外資なのは、外国のやり方ってのを知りたかったから。
英語学校の授業で使っていた系列の施設は、韓国か朝鮮系の団体で、
在日の人達が普通に働いていた。近年、何かと騒がしくなったので、ふと思い出したのだが、その頃はそんなこと気にしてなかったな・・・と思う。
もしかすると、それなりな気遣いをその施設で働く人達は、していたのかもしれない・・・と思うと、楽しくすごせた二年間の学校とアルバイトの日々がありがたい気もする。そんなわけで、学校の時もアジア人を始め、欧米やらなんやらの外国の人々ともしょっちゅう顔を合わせていて(何しろ、教わっていた先生の半数以上が外国の人だったし)、いろいろな違いを聞いていたのだ。
日本にくらべてクールだな・・・と思った。付き合いの飲み会なんてないっていうし。その頃の私は、日本式の飲み会、宴会がだいっきらいだった。酔っぱらいも、説教おやじも、いちいち小うるさい、「女の子」もめんどうだった。

学校のクラスメート等は、いきなり小劇団に入って、周囲をアッと言わせたパンクロックの子や、同時通訳の名士になったり、ピースボートだかで、各国を回り、滞在先の同僚だった人と、何年か後に結婚したり、外交官の妻に収まった者、もちろん、2年程社会経験を積んで、寿結婚で引退・・・という者まで、かなり多種多様な人生を歩んでいる。 

いつだったか、クラス会の席で、私は早くに身持ちのいい人と結婚して、子供を二人ぐらい連れて歩いていそうだったのにと話してくれた人がいた。
・・・へえ、そんな風にみてくれてた人がいるんだ・・・びっくりである。

で、就職はしたものの、もともと事務職が嫌いだったこともあり、一年未満で会社を辞めた。本当は、入って三ヶ月で「もういい」と思ったのだが、それはあまりにも軽率だと思い、せめて一年くらいはできることをやろうと思った。実際、右も左もわからない貿易事務を、ベテランの銀行の担当のおばさんに、叱られながら、(でも、ちゃんと教えてくれるんだよね、これが)相手先の台湾や韓国の担当者に迷惑をかけながら、どうにか輸出入の流れを廻せるようになった。  そこを止める時にはじめて、社長を始め、上司や先輩方が、影ながらいろいろ心配していたことを話してくれて、その後二週間ほど、イベントの手伝いのアルバイトを引き続きやらせてもらった。 大人の世界は、さまざまなんだな・・・と感じて、宴会も、よっぱらいも、女の子も、ケースバイケースなのだと思うようになった。

その後、じゃあ、舞台の方へ行くのかと思いきや、そうでもない。
でも、この後の半年は、私にとって、小学校の時に見た演劇以来の体験になった。
[PR]
by yui-aoyama | 2008-04-14 00:04 | 演じる