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言葉

最近、気になる言葉使いがある。
「~させていただきました。」の類の過剰なへりくだった言い方である。
若者が訳も分からずに、ただ一生懸命使いこなそうとしゃべってではなく、
もう四十を超えた大人までが・・・である。
そんなまでに、へりくだらなければならない状況ではなく、
反対に頼まれて、わざわざやるようなことに対してまで、
「させていただいております」となる。聴いている側が気味悪くなる。
その言い方が十分、どの文章にもついて回ると、聞き苦しいことこの上ない。
仲が悪い者同士での会話だったら、単なる当てつけ、嫌みとなるノリである。
だって、その人の態度は、さっきまで「やってやるよ」だった。
立場から言って、その人は「やってやるよ」でいい人なのに。
低姿勢のいい人であるという公的なアピール?
でないとすれば、状況認識力がない、心を言葉に載せられない。よっぽど人様に頭のあがらないような事をしてきた(?!)そういうことだろうと思う。
言葉とは、心が載ってナンボのものである。
特に日本語は、言葉の意味と違うものや、裏腹なものをわざわざ載せて、
より幅の広い表現を使い分け、微妙なニュアンスを出したりする。
それがおしなべて、馬鹿っ丁寧に表現したら、日本語が台無しである。
本当にへりくだった気持になった時、素直に言葉を発すれば、
そこにちゃんと魂の入った文章が出来てくる。
1人1人がそのように言葉を発し、場の空間に言葉が行き交うようになる=>言霊が幸うようになる…だと思う。

若者が使う「ってゆーか」なども、彼らがちゃんと「というか」「というよりか」等の使い方を分かった上で、わざわざ「ってゆーか」だったら、面白い遊びである。
その点だけで言えば、今時の若者の語感の潜在能力は高いような気がする。
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by yui-aoyama | 2007-02-25 23:53 | 朗読

たまには能楽のこと

ひさしぶりに、新作能のお手伝いの依頼が来た。

今、自分に何が書けるか検討がつかなかったのだが、
とりあえず書いてみた。

新作能といえば、私が能管を習っていたお師匠の一派が、
新しく能を創るという。
なんだか楽しみになった。

古典は古典であって、伝統だからいいというのも確かだけれど、
何か新しいものを発想することも、もっとあっていいと思う。
今の世の人の想いが、後世に通じる普遍的なものになる可能性はある。
六百年前の能楽師達は、その時の想いを真摯に磨き上げて、丁寧に伝えてきたのだから。
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by yui-aoyama | 2007-02-22 00:09 | 裏方

裏方のお仕事 その一

夏の公演が、今年も七月にある。
いつもは、春もたけなわになった頃から
ようやく稽古がはじまるのだが・・・。
今年はもっと早くから始めると息巻いている主宰がいる。
へぇー、そうなんだ。

脚本・・・のようなものをとりあえず書き上げ、主宰に投げた。
1回で通るようなものは、書いたことがない。
当然、これから直しがはじまる。

後半のシーンが見えてこないまま書き上げた台本を読み直す。
こうしたい・・・というのがポツポツと出てくる。

書きながら、これって超裏方な仕事だな~と思う。
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by yui-aoyama | 2007-02-17 11:02 | 裏方

発信と受信

年賀状で、今年の夏の公演用に、こういうのを書いていると数人に言った。
ある日、いとこからケータイメールが届いた
親戚関係から、メールが届くなどということは、めったにないことなので、
何かと思ったら、その台本のことで、思い出した・・・と、外国の童謡の楽譜を持っているのだが、いらないかということだった。
劇で使えるかはともかく、興味が沸いたので、送ってもらうことにした。

何かをほんの一言発するだけで、変わることがある。
演劇・ドラマの世界では、それを誇張してみせたりして、
見る人に「おおっ、ドラマだぁ~」と思わせたりする。
又、ほんの一言を発さなかった故に・・・ということもある。
その結果は、もちろん様々で、いいこともあれば、わるいこともある。

人はどこか寄りかかって生きているものらしい。
だからこそ、自立の心構えは必須なのだが。
お互いに、何かを発したり、受け取ったりしながら、
可変な空間を創りだしている生き物だ。

誰かが発したシグナルは、ちゃんと受けとめる気概をもっていなければ・・・と、脚本なぞ書いていると思うことが多くなる。
なんたって、ヘタすると2時間くらい、じっと劇をみてもらうのである。
こんなありがたいことはない。
席を立たずに見終わったお客様には、頭が下がる。
様々なリアクションを残してお客様が帰った後、そのリアクションを噛みしめて、一喜一憂するのも、脚本書きの仕事である。
だから、自分も「最初に受け取る側」の時は、ちゃんとうけとめようと思う。

それは気を使って、適当に誉めておくとか、とにかく励ますとか、
そんなことではなく、感じたこと、思ったことをちゃんと伝えようとすること。
恨まれることもあるかもしれないけれど、喜んでもらえることもあるから。

客と演じ手というだけではなく、友達、親子、恋人、兄弟、取引相手等、
人と人が会った時には、発信と受信がある。
それをおろそかにしてはいけない。人が人であるために。
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by yui-aoyama | 2007-02-03 11:53 | 徒然