カテゴリ:人・自然( 6 )

鴻上尚史にややハマル

演技レッスンの足しになるような本がないかな~と探していて、
たまたまみつけた本。
孤独と不安のレッスン よりよい人生を送るために ・・・というタイトル。
読み始めたら、止まらず一気に読んでしまった。
その時間正味、一時間半程度。

結構シリアスな内容の、人生相談系な本・・・なんだろうと思う。
がっ!
むずかしいこと書いてないし、ところどころニヤッとしたり、笑っちゃったりもするような本。
さらに、
うすうす「そういうことなんだろうな・・・、と思っていたことをごく一般的な話しとして解説してくれていた。なんと重宝な♪

そんなワケで、ちょっと鴻上氏の書いた脚本を読んでみようかという気になっている。
飽きちゃうかなぁ。。。でも、もうひとつふたつ世代が上の演劇よりか分かりやすい気がするんだよね。。。
思想バリバリの社会派なのとかって、理解不能っつーか、勝手にどうぞ・・・と思ってしまうんだけど、そういうんでもなさそうだし。
人が人として、息づかいそのままに、頭の繰り出すこまっしゃくれた~論じゃなしに、
こーゆーの悩むよねぇ~とか、これ無条件に笑えちゃうな・・・とか、ただ泣けてきて困ったとか、
そんな風な人の毎日が見え隠れするようなのって、肩凝らなくていい。
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by yui-aoyama | 2007-09-24 23:51 | 人・自然

あなたの心の軸はなんですか?

先日発行された「思いやりの日本人」のカバーに書かれた一行である。
実は、昨今の「思いやり」という言葉の使われ方に疑問を感じることがしばしばあった。
いったい、この本の「思いやり」とは何を指すのか興味があって手に入れた。

今日、本を受け取ってから、今まで、まだ数十頁しか読んでいないが、
本当の「思いやり」のこと、日本人の日本人たる資質のこと、
私が漠然と感じていた、平成の時代の違和感や不気味さのこと、
それらが、分かりやすく書いてあった。

著者は団塊の世代だという。
心がしっかりと根を張っていた世代(末期)といえるのかもしれない。
その後、次第に心が浮ついたまま生きて、大人になる人々が増えていった。
物質的に満たされた世の中、誰もが中流などと言われた時代。
さらに、様々なことを効率、公平、標準化=マニュアル化と数字で切り分けて
いったが故の弊害。
表面だけ繕い、おしなべて同じ受け答えができる人が増えても、
心が伴わない、空虚な世界。
日本の社会に少なくとも昭和までは存在していた、
自然の力とでもいうか、見えないこの世界の法則たるものに対する畏敬の念を
忘れたが故の、心の問題。

今、なんとなく昭和の時代がブームなのは、
忘れ去られた心の交流を思い出そうとしているようでもある。

人は、心あるからこそ、人である。
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by yui-aoyama | 2007-04-28 23:57 | 人・自然

子供に誇れるか?

子供達と大人達に、年1回とはいえ、十何年も劇をみせる片棒を担いできた。

最近の子供は、大人になりたがらないことが多いらしい。
大人になっても、楽しいコトなんてないとか、
そんな風に、周囲の大人達や、テレビなどを見て思うそうだ。

世間的に大したことのない大人が言うのもナンだけど、
そりゃ、大人が大人になりきれてないからだろうと思う。

最近になって、思い返してみると、子供の頃、大人になりたかった。
なぜならば、子供のうちは、本当の自由は与えられてないからだ。
うちの親は、ごく普通に育ててくれた。
ちゃんと子供の出かけるところを見ていて、余計なことをするのはだいたい阻止された。 悪いことをしていたのも、すぐにバレて、徹底して恥じを知らされた。
あんまりにも、言うことをきかないと顔だってぶたれたし、出て行けと言われて、外に出されたこともある。
親子で一緒に食事をしたことも、旅行したこともあるし、台所仕事も、日曜大工のまねごとも、トランプとか凧あげを教えてもらったりもした。
楽しいこともあったけど、決して野放しに自由だったことはない。
親の管理下にあったし、実際、守られて生きていた。
そこから外れようとすれば、一人前ではないのだからと叱られた。
わがまま言って、好きなようにしたいなら、一人前になって自分で稼げるようになってからやりなさいと言われた。 子供心に、それじゃ遅いんだとも思ったりしたが、そのおかげで大人になりたいという意識は高かった。

ただし・・・、見ていて、つまらないな~と思う大人になりたかったワケではない。
私にとって、大人とは自分で選ぶことができ、自分の手でなにかをやる人であり、つまらない世界で、黙々と生活する人ではなかった。

今、子供達に胸をはって、大人っていいんだぞ~!とマジで言える。
だってさ、子供なんかより、遙かに自由だし。
やりたいことだって、子供の時よりずっとやれてるし。
やりたくないことだって、必要とあればこなせるし、
誰かにやってあげられることだって、子供の頃からすれば格段に増えた。
大人になるのって、やっぱり楽しくて嬉しいことだったよと伝えたい。
たとえ、世の中は荒んでいても・・・である。
それをなんとかしたいなって思って、行動できることを考えられるのも大人として社会を知っているからである。

今、子供で、自分のやりたいことがあって、本当に自由にそれをやりたいなら、今やるべきことをやって、やれることをやって、それを手に入れ、やりぬく力をつけることだ。
それは子供の持っている「育つ」という権利だろうと思う。

子供の時には翼があった・・・なんていうけど、そんなことない。
大人だって翼をもっている。使い方を忘れてるだけで。
本当の大人は翼を使える。自分の脚で大地に立つ力を持ち、
自分勝手ではない自由を知っている。
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by yui-aoyama | 2007-01-30 01:05 | 人・自然

命の日

昨日は、父の命日である。
命をなくした日を、なぜ命日というのだろう。
この世に生まれたときに与えられた命を全うし、肉体を離れる=使い切った命を返還するから? 
使命を果たすということは、命を使い切るということなのか。
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by yui-aoyama | 2007-01-06 12:35 | 人・自然

自然(あるがまま)を探す

自然に・・・なんたって、そうそう日常、自然になど振る舞っていない。
どこかで緊張しているのが相場である。
朗読を毎日やっている中で、
ほんの少しの自分の状況の違いを思い知った。

朗読を始めた頃に、先生が私に言ったのは、
素の青山さんで・・・とか、本当の青山さんの声で・・・ということだった。
(舞台の)演劇をやっていると、たしかに素の声でいることは少ない。
だいたい、多くの舞台俳優たちは、体育会系な発声や肉体訓練をする。

私は、挫折組である。(マジに)

肉体的にも精神的にも、アノ(←このアノがわかる人は、演劇人です・・・ね、きっと)発声訓練や、肉体訓練で、身体を壊した口である。
丈夫にしておけなかったのがいけないのだと言われれば、それまでのことである。

けれど・・・と、その後も独り、脚本書いたり、衣裳を作ったりしながら演劇になんとはなく
関わってきて思うのは、あんな風にやらんでもいいじゃないか・・である。
もともと、演劇というのは、自分以外の誰かや、現実ではない世界の存在として、偽って生きるものである。何かの役をやるたびに、妙なセリフの癖や、身体の癖を身につけることになるのだから、マンマやったらキツイはずである。

たまたま、ひょっとしたはずみで、能楽に関わるようになり、
これまた、ひょっとしたはずみで、本物の謡を目の前で聴けるチャンスに恵まれた時に、
ん?と思った。
無駄な力がかかっていない。ここぞという時の力の使い方は見事だった。
(プロなんだから、こんなこと書くのは、失礼な気もするが)
謡はやっていないが、能管をやってみた。そこで気づいたのも、同様だった。
無駄な力みがあっては、どんなに力をこめても、空回りするのだ。
「力み」と「力」は、同じ字を使っても意味はまるで違う。

そんなこんなをいろいろと考え、自分はいかに楽に声を出すか、演じるか・・・からはじまり、
日常、仕事をするにも、力まず、力を発揮する・・・を命題にかかげている。
最近になって、少しわかりかけてきた時、いつも聞きにいっているライブの出演者が、
「アレクサンダー・テクニーク」というものを体験してきたと聞いた。
既知感があった。たぶん、遠い昔にそれか、それに似た何かをやったことがあるに違いない。
後で調べたら、やはり・・・である。まだ20代前半の頃に、欧米の演劇法を学んでいたことがある。その流れの中で、出合っているのだ。
なつかしいような感じで、今頃になって、おさらいのようなものをした。
そこで確認したことは、演劇にかかわらず、私が生きる上で身につけてきた、今も身につけようとしていることは、結局はつながっているということ。

どの側面から昇ろうと、富士の山は一つである。
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by yui-aoyama | 2006-11-11 20:43 | 人・自然

気配

何…という訳ではなく、「ん?」と気になることがある。
昨日、西麻布へ行った。
知り合いの方のオフィス。

最近、何か変な気がする。
あの辺りの場所が?
それとも…。

私に話す必要もないことを話しはじめる。
写真のこと・・・。

なんだかわからないけれど、
フェーズがずれていく感じがする。
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by yui-aoyama | 2005-12-08 23:44 | 人・自然