カテゴリ:音( 5 )

なまけ者の活動記-滑舌

今年は、どうも考えあぐねてしまうことが多い。

いまさらのように、どうやって言葉をしゃべればいいのか・・・と悩んでいた。

だってさ、自在じゃないんだもん。 自由にしゃべる余裕がもてない。

楽しいだけではないところへ足を踏み入れたからには、みつけたいものをさがしあてなければ、出口はないわけで・・・。道のりは果てしなく遠く思える。


日本語は、舌の動きが軽妙でないと、しゃべることができない言語だそうだ。

あれこれと、改めて自分の口の中の動きを観察してみると、なるほどそれぞれに

役割があって、すべてがその役割をこなすことで、きちんとした言葉や音となることが

わかった。それができないと、響かせること、伝えることにつながっていかない。

(とはいえ、一番大切なのは心であることは、変わりないのだけれど)

それぞれに役割がある・・・といっても、実は複雑ではなく、一つ一つのことがきちんと毎回できていれば、素直に声も音も出せるらしい。「毎回」というところがポイント。

滑舌が悪くなるとき、一番に考えられるのは、顔の筋肉が衰えていて、発音を支えきれていないこと。

口端に集まる筋肉すべてが健全に動かないと、どこかで無理をする。

精神的な影響などで、顔の表情が乏しくなり、特に口角が下がったり、頬が平坦なままでしゃべるようだと、てきめんに滑舌は悪くなり声も届かなくなる。
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by yui-aoyama | 2009-12-05 22:14 |

音の影響を体感する

先日来、
セロ弾きのゴーシュ・・・というお話を
朗読している。

いまいちなセロ弾きを元気づけ、いい弾き手にしようと、
周囲の動物たちが毎晩やってきて、それとなく稽古をつけるという話。
そんな動物たちの思惑などは、一切表では語られないけれど。。。

どうもピンとこないのが、最後の方に出てくるネズミの親子だった。
母ネズミと子ネズミが、セロ弾きのところへ来て、
子ネズミの具合が悪いので、治してくださいというのだ。
治す?と不審がっていたセロ弾きだが、母ネズミに説得される。
子ネズミはセロの胴の中へ入れられ、
不安がる母ネズミをよそに、セロ弾きはそのままゴウゴウとセロを弾く。
セロの胴の中!!!音もすごかっただろうけれど、
その振動もかなりなものだったに違いない。
演奏が終わると、子ネズミはセロから這い出してきて、
しばし呆然とうごかない。
が、急に目を開けて、走り出す。
母ネズミは心配顔だったが、走り出した子ネズミをみて、
ああ、治ったんだと、お礼を言う。

・・・これがピンとこなかった。
本当に治ったのか、実はそうしてセロ弾きを勇気づけようとしたのか・・・・・・。

ところが。
あるハードロックバンドの演奏を聴きに行った時のこと。
日頃から音が爆音というくらい大きい。
その日はさらにボリュームアップ、テンションアップだった。
質の良い生演奏などは、かなり大音量で聞いても大丈夫なのだが、
その時は、さすがに演奏が終わった直後、一瞬耳鳴りがし、頭の芯がぶれている感じだった。
その演奏の最中、突然、「セロ弾き」を思い出した。
「!!!」
ピンとこなかったちぐはぐさが霧消した。

その後の朗読の稽古は、ネズミの親子のところだけではなく、
全ての場面が腑に落ちた。
文字面を追っている時に、話の情景、さらにはその登場するものたちの一挙一動、
心の運びまでが、するっと腑に落ちる。
そうなるとすっかり読むのが楽しくなってしまう!!!

そんな話をその時演奏していた人達に話しても、わかって・・・・・・くれるのかなぁ。
くれないかもなぁ・・・・・・などと考えている。
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by yui-aoyama | 2008-12-03 00:07 |

公開リーディング(読み合わせ)とメインのコンサートのお知らせ

Festa! Crossroad!

☆ 8月29日金曜日 13:00~
★ JR田町駅下車、徒歩3分。 港区スポーツセンター 第1競技場アリーナ及びロビー
☆ 主催 クロスロードアクターズクラブ

 なんとか、当日本番までこぎつけそうである。 

 ライブ・コンサートの詳細は、
チラシを読んでください。


 私にとってのメインテーマの「公開リーディング」は、

 アリーナではなく、ロビーの一角が会場。

 クロスロードアクターズクラブの20年の公演活動を写真、チラシ、衣裳などで紹介するコーナー。
 そこで、3回、公開リーディング(読み合わせ)をする。

 演目は、さねとうあきら版「銀河鉄道の夜」。

 1回22分という短さなので、超ダイジェスト。

 公演ではなく、読み合わせ。日頃やっている稽古の一端を見せる。

 興味のある方だと、何をやっているかがみえておもしろいだろうと思う。

 マイク等は殆ど使わない。BGMで音源から3曲ほど、タイムドメインのスピーカー、

 Marty101を使って流す程度。 効果音も生音。

   読み合わせの時間は、いまのところ、

   13:50~   15:20~   19:00~

   となっている。 当日の状況等で、やや変更になるかもしれない。

参考までに・・・こんな詳細です。

 

 
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by yui-aoyama | 2008-08-17 15:39 |

BauXar の コンセプト

タイトルのBauXarというのは、
日本エム・イー・ティ株式会社の、ブランドネーム。スピーカーのメーカーである。

このBauXar、「音源をそのまま再生」を心がけて設計したものだそうだ。
この考え方は「BauXar」商品すべてに共通するコンセプトで、ミュージシャン、レコーディングエンジニアの創った「音」を再生装置で色付けしない様に心がけていると、開発者の方のお話である。

現在販売されているのは、スピーカー二種類と、イヤーフォン一種類。
実際に手に入れて使ってみたのは、イヤーフォンである。

詳しいことは、サイトで読んでもらった方がいい。
そのサイトに、タイムドメインという言葉が出てくるのだが、その言葉が既知な人はかなりいるのではないかと思う。
数年前から、タイムドメインのスピーカー・・・という話は、音楽好きな人々から耳にすることがあったのだけど、その理論を聞いて、両刃の剣と思っていた。

だってね、音源をそのまま・・・だよ。
ダメなものは、ゆるぎなくダメって、きこえちゃうじゃんか。

イヤーフォンMというので実際に色々聴いてみた。
笑った。嬉しくなる。ホント、面白い。お気に入りの音楽が、とびきり素敵に再生された時は、言葉にならなかったくらい嬉しかった。

で、なんでゆいのネタ帳に書いているかっていえば、
私が期待した意図に、かなり有用であるという印象から。

演劇や朗読は、主に言葉を使い、観客に見聞きしてもらう。
演劇は、動作も大きな要素ではあるが、通常は台詞が一番伝える役目を負う。
朗読は、台詞、地の文、効果音と、音ばかり。
役者として自分の声を使って、他者に何かしらを感じてもらう行為であるのにもかかわらず、
案外と自分の声に無頓着なことが多い。
一流の方々は、よもやそんなことはないだろうが、アマチュアから素人にかけてのあたりにいる私としては、その無頓着さに時々驚く。
自分も、決して自分の声を駆使できる技量があるわけではなく、他人にどうこう言えるのかと言われれば、黙っていようかな~などと思うのだが、でも、きづいちゃったら言わずにいるのも不自然である。自分をなぶるような行為ではあるけど、忘れないように書いておこうと思うのだ。

自分の声を知ることは、別に俳優、声優、アナウンサーなど、声を使う仕事の人だけではなく、誰かに何かを伝えることがある人には、ある程度能動的に必要なことだ。
自分が語る時に、どのような息づかいで、どのような発声をし、どんな声質で、どんなクセがあのかを意識している人は、あまりいないだろう。
実際、そんなことを四六時中考えながらしゃべっていたら、事務的に伝えることまで、伝わらなくなる可能性もある。
けれど、営業のプレゼンの時、ただ棒読みしていたら、もともと興味がない人にとっては、のっけから無意味なご託を聞かされる以外のなにものでもない時間になってしまう。
せっかく聞いてもらうのなら、そこに伝えたいものがあるのなら、それが自分の力の及ぶ限りいい状態で伝えたいと思う。・・・・少なくとも私はそう思う。仕事でも、演劇でも、朗読でも、その他友達と話す時でも。

で、日頃そんなことを考えていて、特に昨年は知り合いのライブに足を運んだ際、元の音源の本質があってこそ機材が活かせるのであり、本質を知ることは発信する側の責務ではないかと改めて気づかされた。
そんなこんなで、年が明け、そのイヤーフォンを清水の舞台から飛び降りて手に入れ、
おそるおそる、聞いてみたのが、つい今週の頭である。

当初は、好きな音楽をより楽しむ為に・・・という考えだったのが、
この数ヶ月で、方向転換をした。
様々な音を聴く為に、もっと広い意味で音を知り、楽しむ為に・・・である。
実は近々、昨年レコーディングしていた朗読のCDが出来上がってくる。

もちろん、イヤーフォンMで聞いてみる。
コワイものみたさ・・・いや、聴きたさ??
マジなところを言えば、有言実行なだけ。
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by yui-aoyama | 2008-01-12 15:21 |

ちょい、実験予定中~!

なんとなく、音が気になっている。
必要の何万倍かの音で埋め尽くされてるな~と、
雑踏を歩きながら思ったりする。

たまーに、極端に少ない音の場所に行くと、
体がほどけていく感じがする。
そんなことないっすか?

際限なく、生まれては消えていく音は
気持ちが萎えていると
溶解した鉛に押し流され、
つぶされるような感覚で、

いつだったか高いお金を払って観たのに
台詞だけがドロドロと舞台の表を流れていって、
何も届いてこない気がしたお芝居のようだ。

何を誰に届けたいか。
舞台モノをやる人は、九割方、皆考えるのではないか。
考えているという意識がなくとも、
何かをやり始めたとき、かならずソレがある。
闇雲に、ただ創りたいという欲望に駆られて…だとしても、
届けたいモノは確かにあるし、
届ける相手は、自分自身だろうと、空間だろうと、
「表す」段階では、そこにいる。
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by yui-aoyama | 2005-12-05 18:57 |