伝える・・・何を?

もう、半年くらいになるだろうか、太宰治の小説の朗読をレコーディングしていた。
今日、最後まで録り終わったのだが、その後、感想などを話している時に、伝える・・・という作業の面白さに気づいた。

その小説を朗読の台本として読み始めた時、私の周りには、理解できない登場人物の感情に無数の???が踊っていた。
朗読を録りはじめて、その本番最中に、処理しきれない登場人物の台詞になると読めなくなることが多いと気づいた。
頭で考えた登場人物の有り様というのは、実は偽物といっても過言ではない。
登場人物として、読み返していくうちに、ふと、力が抜けているのに気づくことがある。
その時は、すんなりとごく当然のように、言葉が口をついて出てくる。
録音されたそれは、自分が頭でこねくり回した人物の言いようとは違って、語る時のほんのちょっとした澱みまでが、台詞になっている。
そんなことはマレだが、その人物の風体までが、なんだか脳裏に浮かんでくることがある。

そういえば・・・と思う。
ある女性のボーカリストの歌い方は、それを体現しているような感じだった。
好きなバンドのボーカルを聴いていて、違和感を感じる時と、すっかり浸れる時との差にも、単に上手く歌った歌なのか、その歌と歌い手の波長が重なっているかといったことがあるような気がする。

子供の頃から様々な話を聞いたり、読んだりすることを繰り返ししてきたかどうかというのは、実は、とても大切な人間の機能の成長に関わっているのだと気づいた。

心で感じ取ることと、頭で解析することは、まるで別なこと。
どちらも必要なことである。
が、それが違うものであると知っているかいないかで、まるでその後の行動が変わる。

頭で解析した結果を伝えるのは、広く同じコトを伝えるには向いている。
しかし、心の奥底に響く、言葉にならないものを伝えるには、伝える側の心も響いていなければならない。 あたまで構築された観念を伝えても、響きは激減する。

自分の前にいる誰かに、何を伝えるか・・・それを自分自身がわからなければ、すれ違いなどは、あたりまえのように起きる。
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by yui-aoyama | 2007-11-30 23:46 | 朗読
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