話したい人がいますか。

前の書き込みの日付は、去年だった。
これっていう活動がなかったからだけど…。
なんだかんだと忙しかった記憶はあっても、
何でそんなに忙しかったかは、よく覚えていない。 (^^;)

朗読にしろ、歌にしろ、声を出すことで何かをやるならば、基礎はしっかりさせないと続かない。
演劇をやっていた時に、中断せざるを得なかったのは腰痛のためで、それはストレスからくる内臓疾患が主因で起きたものだった。
役者ではなく、衣裳製作や脚本書きを主体にしてからは、それほどの腰痛はなくなった。。。
朗読を始めてしばらくしてから、一年365日の朗読ポッドキャストをやった時は、風邪やら、アレルギーやら、疲労やらとあっても、やることに対してのパワーは落ちなかった。1年経った頃、朗読をただ続けているのも、なんだかもどかしくなった。
いろんな試みは、習っていた先生のところでもやったのだけど、何か気持と行動にズレが出てきた。
その頃、仕事で電話対応が増えた。そうして1日に何十本もの電話に受け答えしている間に、声の出し方がわからなくなった。電話対応って、そんなつもりがなくても、ある一定の枠に嵌っていくんだよね…。そのうちに、声が出なくなった。何を読んでもつまらない。読むこと、人に伝えることが苦痛なんだけど、自分でわかっていなかった、どうしてそうなるのかとか…。
いろんなことが重なって、自分はただ自分で在りたいのに…という、実は幼いころからの想いが、どうにもならないくらいになっていた。どちらでもいいことなら、世の中に合わせたり、折り合いをつけてもいいけど、どうして自分にとって大切なことまで嘘にしなければならないんだろう。せめてそれくらいは素直な気持でいたかった。
いろんな歌を聴いたり、話を聞いたり、聴こえてくる様々な音に耳を傾けたり…でも
自分では声を発することはしなかった。

1年半くらい前に、籠から出た。
出てみたら、なんのことはなかった。
とても楽で、心地よい世界だった。
それでも、そこにいる私を、間違っているという人はいる。
でも、嘘ついて、芝居でもないのに演じて生きるのより、ずっと誠実で、真摯なんだけど。嘘をつかれる方がいいのかな…。 どうして?

そうして、あるとき、読みたいなと思って、お話をひとつ読んだ。
声が楽になった。
そうして、あるとき、歌いたいなと思って、頭に浮かんだメロディを歌った。
面白いくらい、流れていた。

そんなこんなで、
声をどう出すか、どう使うかって、人間にとってはとても大切で重要なことなんだとしみじみ思った。

朗読…聴かせることも、読むことを伝えるのも、ごく日常の中からやるのがいい。
子供とお母さんが買い物の道すがら、お父さんとお母さんが夕ご飯時に…、近所の人が井戸端会議で…、午後のサークル活動で…日曜日のボランティアで、月曜日の会社の朝礼で。。。誰かと対話するのは、人の人たる所以なんだ。
物理的に声が出なくても。声となる前の想いは、声出す時と一緒のもので。
違うツールがその人の日常で声となっているのなら、それが声の代わりになる。

朗読…ぼちぼちはじめています。
今週初めに、日本の昔話をラジオ用に録音します。
来月初めの金曜日のお昼過ぎ、かわさきFMでオンエアされる予定です。
次の月には、私が書いたラジオ朗読用の脚本で、プチ朗読劇も…予定されています。





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by yui-aoyama | 2014-08-10 17:59 | 朗読
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