人のふり見て我がふりを・・・

先日、めずらしく自分より大分若いポップス系のバンドのライブを聴いてきた。
Soonersとか、以前は良くインディーズのバンドやソロのボーカリストの路上ライブなどを聴いて回っていたのだけれど、最近は路上ライブ自体がなにかしらの管理下に置かれているのか、抜きん出たパフォーマーに出会わない。

「もりきこ」という、横浜の・・・でもどちらかというと川崎寄りの鶴見出身のアコースティック・デュオが、ベースとドラムスを加えてバンド編成になったもの。
デュオで活動していた時が長く、最近になってバンド編成になったらしい。
そのせいか、デュオ編成での演奏では、いいコーラスがあり、楽器とのバランスも悪くないのに、
バンド編成になると、とたんに曲の構成が崩れてしまう。 

何曲か聴くうちに、演劇や朗読の現場での光景が目に浮かび、なにより自分自身のこととして、その問題点がみえてきた。
どのポイントを押さえられていないから、拡散するばかりで、集約していかず、作品のアウトラインがぼやけたままのパフォーマンスになるのか。声にしろ、音にしろ、演り手の意志が明確に載っていない限り、聴き手には届かない。距離的に届く、届かないという話ではない。

その若手のステージの前に、ベテランのロックバンドの演奏を聴いた。こちらは贔屓のバンドなので何度も聴いている。けれど、その後の若手の演奏を聴いて(聴きながら)、思い起こすと、バンドの全員が当たり前にやっていることがあると改めて確認できた。だから、ベテランのプロなんだけどね。 でも世の中の、「ベテランのプロ」が、必ずしも皆それができている・・・という分けでもない。自分の仕事に対する姿勢、生き様なんだろうな・・・と最近は考えている。 
だから、ポッと出のアーティストでも、その姿勢があり生き様がしっかりしていると、おのずとそれが反映された作品に触れることができる。

振り返ってみて、自分が演劇でやったことは、その時その時の、かなりギリギリ精一杯やれることはやった・・・と、終演時に思えるように活動してきている(端からの期待や要望に応えているという意味ではない)。
本当に集中して、そこに力を注げている時は、できること、できないことが瞬時に判断できるし、必要なもの、不要なものもかなり具体的にみえる。 そういう仕事ができたときは、かならず次への道標となる。これは、芸術に限らず、事務職をはじめとしたどんな仕事でも一緒だと思う。
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by yui-aoyama | 2010-10-26 16:07 | 徒然
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